熊野焼
- その歴史と作家 -
遠く奈良時代の昔、朝鮮半島から帰化した陶工が、良土と需要地を求めて全国に移り
住み、窯を築き陶器の生産に励んだところは、その一族の部名「須恵」にちなみ「すえ」と
呼んでいます。
福山市神村町須恵は七世紀すでに須恵部の民が移住して窯を開いています。
この陶工はやがて八世紀になり、仏教が盛んとなると、寺院の瓦を焼くようになります。
福山市の南郊熊野盆地にも大寺院が建立され、その瓦と共に日用の雑器や祭祈用の
焼きものの需要をみたすために、神村の須恵から移住してこの附近の陶土を利用して
焼きはじめました。現在この窯の遺跡は盆地の周辺に群在して、天平時代の蓮華文軒
丸瓦や唐草瓦の瓦窯にまじって須恵器の窯址が転々として出土して、最も完全に残る
一つは現在広島県の史蹟に指定されています。 出土してくる陶器は、古墳時代の規格
化から、自由な表現の見られるのびのびとした素朴な美しさをたたえています。かごづく
りの深鉢や、中国の唐風の合子、朝鮮の新羅系の口づくりをもつ壷など多様な作品は
古代人のすなおな美がにじみでています。しかし平安時代に入ってくると、山茶わん風
な小皿や、こね鉢のような民間の雑器を焼いていますがいつとなく廃れてしまいました。
この陶郷の旧家皿谷膳左衛門氏は、この伝統ある窯を再興し、往時の素朴な美しさに
更に、現代的な工芸美を加えんものと日夜研さんを積みついに郷土色豊かな熊野焼の
焼成に成功し、幾多の工芸展に受賞の栄をかさねて現在にいたっています。 父の技を
伝え、陶芸に志した長女緋佐子嬢と弟実氏は共に励まし、若年よく陶芸に秀で、各種工
芸展で優秀の賞を受け、緋佐子嬢は現在新匠会及び日本伝統工芸会に属し女流作家
として陶芸界に活躍し、実氏は昭和三十九年京都美大卒、同年日展に初入選し、県美
展では文部大臣奨励賞の栄に輝いています。一家をあげて陶芸に精進される姿は実に
美しいかぎりであります。 過去の伝統を受け継ぐと共に、清新な作風に輝かしい創造の
美術陶「熊野焼」に期待し、ご愛顧を願ってやみません。
熊野焼後援会